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片栗の花

百済・新羅・伽那

6月23日(水)韓国歴史の旅

6月24日(木)ソウルから群山・扶余へ
ソウルから高速バスで群山(クンサン Gunsan)へ 200km 2時間半約1500円です。
群山は港町で日本の統治時代の米の積出港でした。当時は日本人が多く住み、
統治時代の建物や日本式の家屋が残っています。
映画のロケ地にもよく使われます。『八月のクリスマス』
ここはまた百済の滅亡3年後、百済を復興させるために倭国(中大兄皇子ら)は
3万7千人を送り込み、この錦江(白村江)河口付近で戦い敗れました。(白村江の戦い)
月明公園から錦江を望む。月明公園(海望公園)のシンボル「随時(スシ)塔」
1967年に船舶の帆と繁栄を象徴する花火を現わす模型として建立されました。

月明公園から錦江を望む。
錦江
錦江 posted by (C)トンボ
月明公園(海望公園)のシンボル「随時(スシ)塔」
  1967年に船舶の帆と繁栄を象徴する花火を現わす模型として建立されました。
シンボル「随時(スシ)塔」
シンボル「随時(スシ)塔」 posted by (C)トンボ

群山バスターミナルから扶余へ。
ターミナル近くでモーテル「テミョンジャン」に部屋を取り荷物を置いて国立扶余博物館へ。
ここは「地球の歩き方」に載ってて、日本語で「だいめいそうりょうかん」と書いてあるので選びました。
扶余モーテル
扶余モーテル posted by (C)トンボ

扶余―泗軟(サビ)
123年間に渡る百済王朝最後の都(538~660年)があった所です。
寺院や仏像が建立され多くの仏教彫刻が誕生し、
芸術・文化が著しく発展した百済文化が最も花咲いたところです。
百済(346年~660年)は新羅・唐の連合軍に敗れ滅亡しました。
王朝滅亡時に全てが破壊され、百済の面影は、今はほとんど見受けられません。
法隆寺の百済観音や広隆寺弥勒菩薩、中宮寺の半跏思惟像は百済人によって作られた仏像です。
飛鳥時代の仏教美術は百済文化の影響を受けたため、渡来様式”といわれました。(百済文化)
国立扶余博物館  百済時代(346年~660年)の遺物を25,000点所蔵。
百済金銅大香炉
扶余
扶余 posted by (C)トンボ
磨崖仏(レプリカ)三尊仏像
磨崖仏(レプリカ)三尊仏像
磨崖仏(レプリカ)三尊仏像 posted by (C)トンボ

扶余 (2)
扶余 (2) posted by (C)トンボ

扶余 (3)
扶余 (3) posted by (C)トンボ

近くの定林寺址には国宝五重(五層)石塔(チョンリムサジ オチュンソッタッ)
百済時代の石塔のうち、現在も残っているのは2つのみです。
百済塔
百済塔 posted by (C)トンボ

6月25日(金)百済の最後の都ー扶余
朝早く「扶蘇山城」に行きました。朝鮮史上では、紀元前1世紀から紀元後7世紀までの間、
「高句麗」、「新羅」、伽耶諸国と「百済」の支配する「三国時代」でした。
第26代 聖王(聖明王)が538年に扶余(当時は泗軟サビ)に遷都して滅亡するまでの123年間、
百済最後の都のあった所です。この頃に仏教文化の花が咲き、日本に仏教が伝来しました。
660年、唐13万人、新羅の5万が百済に攻め入り、白村江の戦で百済は滅亡しました。
山城の下には、白江(白馬江、錦江の中流)が、ゆったりと流れていました。
白江(白馬江、錦江の中流)
白江(白馬江、錦江の中流)
白江(白馬江、錦江の中流) posted by (C)トンボ

泗軟(サビ)楼 扶蘇山城で1番高いところにある。見張り台があったといわれています。
泗軟楼
泗軟楼 posted by (C)トンボ

落花岩 白馬江に面した絶壁。ここで、後宮にいた3,000人の百済の宮女たちが、
花びらのようにひらひらと身を投げたと言われています。
百花亭 身投げした宮女を追悼するために、1929年に落花岩の上に立てられた。
落花岩と百花亭
落花岩と百花亭 posted by (C)トンボ
百済歴史文化館
  最先端の映像技術で百済の歴史や伝統を目で見える形で先駆的な博物館です。
  百済金銅大香炉の各部をビデオで解説、弥勒寺址の九層木塔の巨大な復元模型など。
百済歴史文化館
百済歴史文化館 posted by (C)トンボ
弥勒寺址の九層木塔の巨大な復元模型
弥勒寺址の九層木塔の巨大な復元模型 posted by (C)トンボ
百済歴史文化館
百済歴史文化館 posted by (C)トンボ
百済歴史文化館
百済歴史文化館 posted by (C)トンボ

9月18日~10月17日までの1ヶ月間2010世界大百済典が開かれます。
開催に向けて。百済時代の宮廷、五重塔などで街並みを再現した
「歴史再現村」やロッテリゾートホテルも近くに建設中です。http://www.baekje.org/html/jp/
 今年は平城京遷都1300年です。気持ちにこめる規模が日本とは違うようです。
ここは文化館は出来上がっていますが、他は建設中とあってタクシーを呼ぶすべがありません。
通りかかった女子学生が電話してタクシーを呼んでくれました。

昼食は「地球の歩き方」に載っていた話題の店クドレドルサムハブに。
クドレドルサムハブ
クドレドルサムハブ posted by (C)トンボ
クドレドルサムハブ
クドレドルサムハブ posted by (C)トンボ

バスで扶余→大田 1時間半 約500円 大田の郊外の儒城温泉にあるホテルへ。
ホテルには大きな浴場が付いています。外部の方も入れるようになっています。
日本の大浴場と同じです。公園には足湯を楽しむ方々が、夕食は日式の店で寿司を食べました。
足湯
足湯 posted by (C)トンボ

6月26日(土)新羅千年の都ー慶州
ホテル(儒城温泉)から地下鉄で大田へ、ここからKTX(高速鉄道)で大邸へ、
ここからは電車で慶州まで。11時頃着きました。慶州はさしずめ日本の京都といったところで
観光客も多いです。地図を見ていたら声をかけてきた個人タクシー金さん(新羅は金細工の国、
苗字も金さんが多いのか?)に慶州案内をお願いしました。
(大田ではホテルで両替できず、土曜日で銀行も閉まっているということで、話にのりました。)
新羅千年の都ー慶州  世界遺産
 新羅は紀元前57年建国~935年までの992年間存続しました。
7世紀中頃には韓国史上初めての単一民族国家を作りました。
町中に遺跡が散らばり世界遺産に登録されています。
 仏教文化の証として、国中至る所に仏塔、石仏、石塔が建てられた。
(韓国は石の国で、堅い岩盤の上に街ができていて樹木も少ない。)
古代三韓の中では特に新羅に金細工が多く、製鉄や金加工の技術も高度です。
また慶州には王陵の大型古墳などが、あちこちに残っています。
国立慶州博物館
 高山寺跡三層石塔(博物館近くの塔)
慶州国立博物館
慶州国立博物館 posted by (C)トンボ

聖徳大王神鐘(別名エミレ(お母さん)の鐘)
溶けた銅の海に投げ込まれた少女(生け贄)のおかげで鐘は完成したが、
鐘を衝く度に少女の悲しい母を呼ぶ鳴き声の音を出すという。
この鐘に少女のすべてが溶け込んでいるのでしょうか。
慶州国立博物館
慶州国立博物館 posted by (C)トンボ

慶州国立博物館
慶州国立博物館 posted by (C)トンボ

古墳群
大陵苑
大陵苑 posted by (C)トンボ
大陵苑
大陵苑
大陵苑 posted by (C)トンボ

天馬塚
天馬塚
天馬塚 posted by (C)トンボ
天馬塚
天馬塚 posted by (C)トンボ
天馬塚
天馬塚 posted by (C)トンボ
天馬塚
天馬塚 posted by (C)トンボ

『瞻星台』 善徳女王の造った東アジア最古の天文観測台
東洋最古の天文台『瞻星台』
東洋最古の天文台『瞻星台』 posted by (C)トンボ

「仏国寺と石窟庵」世界遺産(文化遺産)
535年に創建、751年に拡張された。(東大寺大仏の頃)
 仏国寺は現世の父母(=国)のために作った。石窟庵は前世の父母のため。
 1592年、秀吉による文禄慶長の役で焼かれたが20世紀に復元。石組みの多くは新羅時代のもの
仏国寺
仏国寺 posted by (C)トンボ
仏国寺
仏国寺 posted by (C)トンボ

青雲橋・白雲橋
青雲橋・白雲橋
青雲橋・白雲橋 posted by (C)トンボ

多宝塔と三重石塔(釈迦塔)三層宝塔、無影塔
多宝塔
多宝塔 posted by (C)トンボ

 舎利塔 高麗時代初期。1905年に日本に持ち出され1933年返還された。
舎利塔
舎利塔 posted by (C)トンボ

新羅焼き
新羅焼
新羅焼 posted by (C)トンボ

6月27日(日)金海市
慶州から釜山まで昨日お願いした個人タクシー金さんにお願いしました。 18万ウオン

霊鷲山(りょうじゅさん)通度寺(トンドサ)http://www.tongdosa.or.kr 
646年、善徳女王15年に高僧慈蔵律師によって創建された。
韓国の三宝寺のひとつ(仏教で三宝とは仏、法、僧)
「仏」(仏舎利と袈裟)を奉安 通度寺(本尊には仏像がありません。)
「法」大蔵経のある     海印寺
「僧」高僧を多く輩出    松広寺
通度寺
通度寺 posted by (C)トンボ
鐘楼  「魚変龍成」(魚が龍になる、転じて、苦労していた人が栄達する)
    煩悩から解放され、迷いの苦悩から抜け出すの意。
魚変龍成
魚変龍成 posted by (C)トンボ
大雄殿(本尊が奉安されている本殿のこと)
本尊、仏像ない。仏舎利と袈裟を奉安している金剛戒壇を窓越しにお参りできる。
秀吉による文禄・慶長の役の際に焼失、1645年に再建された。
大雄殿
大雄殿 posted by (C)トンボ
戒壇
戒壇
戒壇 posted by (C)トンボ

絵
posted by (C)トンボ

金海市へ 鉄の王国ー伽耶
金海は魏志倭人伝での「狗邪韓国」、古墳時代には金官加耶国に成長しました。
西暦42年首露王が駕洛国(金官伽耶)を建国し、朝鮮半島の南部の6つの小国を
形成して伽耶と呼ばれ520年間続いた。(この小国の一つが日本史で学んだ任那だという)
古墳からは日本とも同じ鉄製品の副葬品が多く出土し、交流があったことを示している。
西暦562年に新羅に攻められ滅亡し伽耶人が鉄の交易があった日本に移住したとも言われている。
盧武鉉の生家もあり、見学を進められました。

首露王陵 直径22m、高さ6mの円墳
伽耶の建国者首露王は亀旨峰に6つの金の卵が空から降りてきて、卵から生まれた
王たちは、それぞれ6伽耶の王になり、その一番最初に生まれたのが首露王。
西暦42年に亀旨峰に降臨し駕洛国を建国し、西暦199年に157歳で亡くなったと伝えられている。
金の卵から生まれたことから姓を「金」と名乗り、金海金氏の祖先。
首露王の王妃はインドの阿踰陀国から来た女性。
首露王陵
首露王陵 posted by (C)トンボ

金海民族博物館
金海民族博物館
金海民族博物館 posted by (C)トンボ
大成洞古墳博物館
 加耶文化圏の遺物を集めて時代別に展示し考古学専門の博物館である。
狗耶韓国、金官伽耶国の首長層の共同墓地で木郭墓。出土品から、鉄器文化と
強力な騎馬軍団を持つた加耶文化が窺える。馬具・青銅器、中国製の鏡、
日本製の筒型銅器なども出土し、日中韓の文化交流があった。

大成洞古墳博物館
大成洞古墳博物館 posted by (C)トンボ
大成洞古墳博物館
大成洞古墳博物館 posted by (C)トンボ

大成洞古墳群は、狗耶韓国、金官伽耶国の首長層の共同墓地で木郭墓。
出土品から、鉄器文化と強力な騎馬軍団を持つた加耶文化が窺える。
馬具・青銅器、中国製の鏡、日本製の筒型銅器なども出土し、
日中韓の文化交流があった。
ここは公園になっています。ここから韓国で良く見かけるマンション群が見えました。
大成洞古墳群
大成洞古墳群 posted by (C)トンボ

3時少し前に釜山のホテルにつきました。慶州からの個人タクシー金さんに カムサンミダ!
ホテルで休んだ後にチャガルチ市場、釜山タワーに。

6月27日(日)釜山港
釜山港へ帰れ  http://www.youtube.com/watch?v=17cA7096SB0
慶州の仏国寺前のホテルを9時に出て、見学しながら3時少し前に釜山のホテルにつきました。
慶州からの個人タクシー金さんに カムサンミダ!
チャガルチ市場 で夕食。ホヤとアイナメ これだけで(*_*)
ホテルで休んだ後にチャガルチ市場に。タクシーの運転手は子供の頃日本で過ごしたという関西人。
いつも家族で行く友人の店を紹介してくれるという。
いつもタクシーのメーターを倒すことを気にしていたのにこのときは安心して
選んだ魚を刺身にしてもらい請求書を見てびっくり!
金さんが1日かかりで慶州から釜山まで送ってくれたタクシー料金より高いとは!!
この後は超節制。まあこのときだけ料金を聞かなかったことがミス。
タクシーの運転手の言葉を信用したので。(家族で良く行く、友人の店)
釜山
釜山 posted by (C)トンボ

チャガルチ市場 で夕食
チャガルチ市場
チャガルチ市場 posted by (C)トンボ
チャガルチ市場
チャガルチ市場 posted by (C)トンボ
ホヤとアイナメ これだけで(*_*)
チャガルチ市場
チャガルチ市場 posted by (C)トンボ
この後気を取り直して釜山タワーに登り釜山の夜景を楽しみました。

釜山タワー 龍頭山公園 高さ約 120m。 釜山港へ帰れ

釜山タワー
釜山タワー posted by (C)トンボ
釜山
釜山 posted by (C)トンボ
釜山
釜山 posted by (C)トンボ

6月28日(月)水原ー華城
釜山からソウルまでKTX(高速鉄道)2時間50分 特室(3座席)約5,000円安いですね。
(経験にということで特別室をとりました。座席が普通は2+2ですが、特室は2+1です)
ソウルから明洞に地下鉄で行き「ソウルロイヤルホテル」に荷物を預けて
電車で水原まで行きました。ソウルから約40分
華城 (世界遺産) 水原市 周囲5.8km、城壁高さ7.0m
李氏朝鮮時代(1794年~1796年で2年に37万人の労力で)の城塞遺跡。
砲楼、弓を放つ弩台、敵を監視する楼閣、軍事指揮所の将台、のろし台などがあります。
朝鮮王朝第22代正祖王が政争の犠牲になって非業の死を遂げた父を悼み墓所を移し、
遷都を考えて華城を築いたが、病死し遷都は中止になった。
長安門
華城の城壁には東西南北の四カ所に城門(蒼龍門・華西門・八達門・長安門)がある。
水原の北はソウルで、華城の正門はソウルに向かっている北の長安門。
華城ー長安門
華城ー長安門 posted by (C)トンボ
華城ー長安門
華城ー長安門 posted by (C)トンボ
華城
華城 posted by (C)トンボ
城壁の木陰では市民が碁をうっていました。(華城列車より)
華城
華城 posted by (C)トンボ

華城行宮 華城内にある王様の別邸。左上に八達山。ドラマ「チャングムの誓い」の撮影地
華城行宮
華城行宮 posted by (C)トンボ
華寧殿
華寧殿
華寧殿 posted by (C)トンボ

八達山山頂の西将台(標高143m)からは水原市内が見えます。
華城
華城 posted by (C)トンボ
八達山
八達山 posted by (C)トンボ
帰りは地下鉄でホテルまで、時間かかりますが乗換えが楽です。
地下鉄で隣り合せたKさん。日本統治下で学んだ思い出を片言の日本語で懐かしく話しました。
懐かしく話せるようになるまでの時の流れに思いを巡らせました。
乗り換えの道案内までもして頂き本当にカムサンミダ!

6月29日 ソウル
昌徳宮 李氏朝鮮の宮殿。 世界遺産(文化遺産)
1405年に、正宮である景福宮の離宮として建てられました。文禄・慶長の役(壬辰倭乱)
ですべての宮殿が焼失したが、1615年に再建し、景福宮の再建までの約270年間、
正宮として使用した。
李氏朝鮮時代の趣や生活様式を色濃く残していて、韓国造園技術の極致といわれる。
1910年の日韓併合後も李王純宗の住まいとして、朝鮮総督府により改築されている。
正門にあたる敦化門は昌徳宮の正門(大門)、1412年当初の建築で大韓民国最古の門。
宮内外の公式行事が執り行われた正殿の仁政殿
敦化門
敦化門 posted by (C)トンボ
宮内外の公式行事が執り行われた正殿の仁政殿
仁政殿
仁政殿 posted by (C)トンボ
仁政殿
仁政殿 posted by (C)トンボ
昌慶宮
1418年に朝鮮王朝第4代王・世宗が退位した父・太宗が後世を送る所として建てた(寿康宮)
1484年に成宗が、祖母、生母、養母が住むための別宮として再建し「昌慶宮」とした。
1592年の壬辰倭乱で焼失、1616年に再建後も火災に見舞われ、復旧が重ねられました。
日本による植民地時代には動・植物園が作られ、宮内の建物の多くが破壊・変形されました。
しかし1983年から3年間にわたる韓国政府の大規模な復元・改修された。

明政殿 昌慶宮の法殿。
王宮内の建物がほとんど南向きに対し、これだけは東向きに作られている。
公式的な大きな行事が行われました。現在残っている王宮の法殿のうちで最も古いもので、
文禄・慶長の役で焼失していたものが1616年に再建された。明政門の奥に見える建物。
明政門
明政門 posted by (C)トンボ
ソウルの市鳥 カササギ (韓国には日本にいるカラスはいない)
カササギ
カササギ posted by (C)トンボ

アイガモ
アイガモ posted by (C)トンボ
赤とんぼ(アカネ属)
赤とんぼの仲間
赤とんぼの仲間 posted by (C)トンボ

「国立古宮博物館」  景福宮内
  朝鮮王朝(1392~1910)の王室の遺物や関連資料が展示されている。
国立古宮博物館
国立古宮博物館 posted by (C)トンボ
国立古宮博物館
国立古宮博物館 posted by (C)トンボ
国立古宮博物館
国立古宮博物館 posted by (C)トンボ
国立古宮博物館
国立古宮博物館 posted by (C)トンボ
国立古宮博物館
国立古宮博物館 posted by (C)トンボ

明洞 宿泊したロイヤルホテルの近くなので、ここで食事と買い物をしました。
多くの若者で昼夜にぎわっていました。日本語の表示、日本語での声かけもあります。
日本からのショッピング客も多いように思いました。
明洞
明洞 posted by (C)トンボ

お土産を買った地下街の店です。日本語も通じて、良心的な店でした。
明洞地下街の店
明洞地下街の店 posted by (C)トンボ

6月30日(水)帰国
長いようで短かった韓国旅行も終わり、いよいよ帰国です。
他のホテルは予約のときの決済でしたが、ここのホテルは当日での支払いでした。
この1週間に円高が進んだので、恩恵を受けました。額にすると1000円くらいですが。
    23日  仙台空港 1万円 ≒11万ウオン    ソウル空港   ≒12万ウオン
    30日  ホテル     ≒13.6万ウオン

ホテルからのシャトルバスで仁川国際空港に向かいました。バスに乗ったのは
私たちのほかには5名の日本人でした。ソウル発10時20分予定でしたが、
天候が悪く11時に飛び立ち、仙台空港には1時頃つきました。自宅には3時過ぎに着きました。
韓国は距離的にはとても近いことを実感しました。仙台便の飛行機はほぼ乗客でうまっていました。
みな日本人だと思っていましたが、降りたときの入国窓口に並んだ人たちを見てびっくりしました。
日本人がわずかでした。ほとんどが外国人(韓国)でした。
仙台空港も外人さんでもっていたんですね。これでは外人さんが来なかったら閉鎖です。


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